2011年12月3日(土)雨のち曇り
玉川上水の柵の上に、夜になると灯がともる。
小平市の玉川上水沿いで、初めて2〜3mごとにともる
灯火の列を見た時、幻想的な美しさに感動した。
「京都の花灯籠みたい」と。
玉川上水は歩道が横にあるので、
この灯りがずっと続いていたら夜の通行にも役立つだろう。
他の市の区域もあればよいのにと思っていたら、
その後、武蔵野市の玉川上水区域でも同様な街灯が柵に設置された。
夜道が一気に明るくなった。
でも、違和感を感じる。
明るすぎるのだ。
良く見ると、小平市も武蔵野市も同じような形の門灯(?)が設置されて
いるが、小平市の方は上部にふた様の金具がかぶせられていて、
光が半分になっている。まぶしすぎない。
これなら、上水に生きる動植物への影響も少ないだろうと思う。
対して武蔵野市の方は、むき出し状態なので、光量も大きく、光の届く範囲も広い。
ただただ、人間のため、防犯優先、交通安全第一で作られたのだろうか。
明るければ良いという感じで、動植物への配慮は感じられない気がする。
宅地化が進む中、貴重な自然が残る玉川上水、
闇にまぎれて行動する生き物もいるだろうし、眠るものもいるだろうに・・・。
まぶしいほどの灯火は、余韻がないというか、奥ゆかしさがないというか
京都の旅行を思いださせた小平のものとは印象も違うものだった。
もちろん、夜道を通る者には嬉しい灯りだと思うけれど、
両市(市が設置したのかどうか、調べていないが・・・)の灯火の違いは、
その町の人々の思いや見識まで感じさせる気がする。
夜は本来暗いもの。
闇も貴重だと思いませんか?
(写真は小平側の灯火)